早いもので今年も12月となりました。例年通り、12月の初めには水彩カレンダー原画展を開催します。この原画展は1年の活動の集大成的なイベントであり、多くの方がお越しになります。来られる方は圧倒的に女性が多く、実際に水彩画を描かれていたり、他のアートに関わられたりする人など、非常にクリエイティブで、元気のある方が多いです。このように、アートやものづくりなど創作的な文化的活動を行っている方は、いつまでも元気で、周りに活気を与えてくれます。
今年は、昭和が今も続いていると仮定したら100年目になり、その昭和100年も今月で終わりを迎えようとしています。100年前は1925年。1914年の第一次世界大戦が終わって一段落し、1945年に終戦する第二次世界大戦の20年前ということで、少し平和で豊かな時期であったのではと思います。1868年から始まる明治維新では急激に西欧の文明が移入され、1945年の終戦後は米国の指導の下、いろいろなルールが定められました。我が国は、明治維新以降の文明開化で急激に欧米化され、欧米に追いつけ、追い越せで来ていたところ、1925年頃は、欧米の文明を賞賛する一択から、元々の日本文化が見直され始めた、非常に文化的で熱量の高い活気のある時代だったような気がします。例えば民藝。ちょうど1925年に柳宗悦らによって提唱された生活文化運動で、職人の手から生み出された日常の生活道具には、美術品に負けない美しさがあると唱えられ、美は生活の中にあると語られました。日本各地の「手仕事」の文化が、工業化や大量生産によって失われていくことが案じられ、物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを民藝運動を通して追求された訳です。文学の世界では、谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」を出したのが1933年。西洋の文化ではない日本の陰翳の中でこそ映える文化・芸術が礼讃されています。そして、主に1920年代に活躍された藤井厚二。西欧の文明を取り入れながら、日本の文化、様式を維持した和洋折衷の住宅建築も、その当時の心意気のようなものを感じます。
その後、戦争が始まり、敗戦し、戦後の復興、高度成長期やバブル期を経て、今は失われた30年とも言われています。産業面も含め、今こそ、文化で我が国を引っ張るくらいの感じが良いのではないかと思います。日本固有の自然や巧みの技、美意識などを世界に発信し、日本人本来の礼儀正しさや謙虚さ、和の心などで海外の方に接すれば、自ずと経済にも良い影響が出てくるように思います。昭和100年というのはとても重い言葉で、その当時の意気込みを思い返す良い区切りの年なんだと思います。
Katsuji
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