story63.祖父母と父母のご供養

毎年、お盆の頃になるとお坊さんに来ていただき、仏間でお経をあげてもらっています。今年の春に母親が亡くなったので、とうとう祖父母、父母の供養の機会となってしまいました。祖父の専三がこの地に家を建てて100年弱。先々代の祖父は私が生まれる直前に亡くなり、その後、長年、家を継いできた先代の母親がこのほど亡くなり、私たち夫婦の代に替わって初めてのお盆となります。お経を聞きながら、祖先への感謝の思いとともに、自分の子供、孫の代に、バトンを渡していくといった引き締まる思いも湧いていました。

実際に生を共にしていないながら、先々代の祖父の存在がとても気になります。先日、いつもお世話になっている住宅遺産トラスト関西の方が、祖父専三の昔の資料(学会の後輩の方が故人専三を偲んで書かれた文書)を見つけられ、送っていただきました。以下は、そこから、主要部分を少し抜粋したものです。

『永井博士は晩年に技術に没頭するのかたわら非常に深い趣味に生きた人であった。彼氏は吹田の一角高台に山荘を設け、そこに陶器の竈(かまど)を建設し、青磁作品の研究を続け、号を千山と称えられていた。氏の青磁作品は高麗にもよらず、准南にもよらず、氏独特のものであった。しかしその深みを理解し得る人は氏の同輩であってもそうザラには無かったと思う。かえりみるに氏は一生を通じ、氏独特の性格に一致した特能の趣味をもって、特能の技術を養ない、自ら人生を楽しむという境地であったと思う。あえて大きな名誉心も抱かれず、社会的野心にも捕らわれることなく、なんら憂うるところもなければ傷つけられることもなくこの89年の長年月の寿命を果されたものと思う。これまったく自らを信じ天地興楽の真念によるもの、大に後輩の範となすべく、このような人間的に深みをもった先輩を失なうたのは、われわれのはなはだ遺憾とするところである。ここに思い出の一言を呈して氏の霊を慰めたいと思う。』

長年、土木工学博士として宇治川水流のダム整備などに尽力されたそうですが、趣味や生活も大事にされ、悠々と生きていかれたような姿が浮かび上がります。実際は、人には分からない苦労や葛藤もあったと想像しますが、周りからこのような姿として映っていたことはとても立派なことだと思います。なかなか真似できる存在ではありませんが、少しでもそのような生き方ができるよう努めていけたらと思います。

Katsuji

0コメント

  • 1000 / 1000