story9.壊さず、放置せず、環境に順応する大切さ

私がこの家に生まれたのは、今から50年以上前の昭和42年。その3年後には、歩いても行けるすぐ近くの場所で大阪万博が開かれました。高度経済成長期で、近所にも戸建てやマンションなどの住宅開発がどんどん進む中、その50年近く前に建てられていた我が家は、ますます珍しい存在になっていったと思います。

物心がついた頃は、まだ庭の低木を薪割りしてお風呂を沸かしていました。庭には、栗の木や柿の木があり、秋にはその実りを食し、冬には落ち葉をたき火にして、出た灰を畑の肥料にしていました。定期的に植木屋さんが入り、家にはお手伝いさんという名のホームキーパーが毎日来られて、床ぶきや掃除をされていました。当時は、庭の自然とうまく共生しながら、家の方にも十分に手間ひまをかけて手入れをしていた時代だったと思います。

その後、親も年をとり、我々子供世代は結婚を機に家を出ることになり、庭の手入れも、家の手入れも行き届かなくなった時代を経ることになりました。その頃から、庭の木はうっそうとし出し、弱い木は枯れ、強い木は高く広く覆い茂るようになりました。その結果、家の屋根や樋には落ち葉や小枝がたまり、日陰が多く湿気気味となり、家の中は放置された箇所が多くなって、床が歪んだり、雨漏りがしたりと、家の傷みが激しくなってきました。

その後、再び住み始めることになり、放置され物置のようになっていた部屋を片付け、可能な範囲で庭の手入れも行い、昔ほど時間やお金はかけられないとしても、できるだけ丁寧な暮らしの中で、庭の自然や家の細部と向き合うようにしていきました。家は、放ったらかしにすると朽ちてしまいますが、かといって自然と対立して庭の自然を壊したり、自然の脅威から逃げ出して家自体を取り壊すと、元に戻すことができなくなります。

上手に環境に順応すること。全てにおいて庭の自然と共生することは不可能だとしても、工夫次第で、庭も家も共存して持続させることは可能なのではと考えます。住みながら、使いながら、手を加えながら、少しでも良い感じに、残せていければ良いなと思います。

Katsuji

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