story46.人の輪により実現した登録有形文化財

このたび、我が家の母屋と土蔵が、国の登録有形文化財になることが内定しました。国の文化財の中では、最もハードルの低いもので、大きなインセブティブがない代わりに、きつい制約もないようです。とは言え、国の審議会など慎重な審査を経て選定されたものであり、身が引き締まる思いでもあります。

登録有形文化財になるとは、数年前までは全く想定していなかったことであります。以前のSTORYでも書きましたが、ここ最近まで我が家が藤井厚二建築であることも知りませんでした。妻の水彩教室の生徒さんで古い建築物にも興味を持たれている方の紹介で、文化財などを研究されている京都工芸繊維大学の笠原先生が我が家にお見えになられ、そこから松隈代表をはじめとする聴竹居倶楽部の方や、窪添代表をはじめとする住宅遺産トラスト関西の方などにつながっていって、我が家は藤井厚二設計に間違いないという確信を得るに至りました。

その過程で、皆さまが登録有形文化財に応募したら良いのではと言って下さいました。ほとんど知識のなかった私たち夫婦は、「文化財」という響きが良いなあとか、特段のしばりがないのも良いなあとか、プレートを門に飾ったら格好いいなあとか、それくらいの気持ちでいました。2年ほど前、大阪府の担当の方が来られた際は、歴史や特徴を2枚程度にまとめて応募したら大丈夫的な感じでおっしゃられたのですが、1年ほど前、本格的に応募を検討し始めた時は、審査が厳しくなってきたのもあり、正確な歴史的情報や、専門的な知見からの建物情報など10枚程度の記載が必要となり、私たち素人ではとても手に負えるものではありませんでした。併せて、建物図面も建物写真もプロが作成・撮影したものでないと資料としては相応しくないという示唆もあり、安易な想定を大幅に上回る大変な作業となりました。それでも、周りの専門家の方達が、それぞれご尽力していただいた結果、素晴らしい応募資料が作成でき、このたび無事に登録が内定しました。このような人の輪がなければ、まず登録に至ることはなかったと思います。

私たちは、普通に暮らすことしかできませんが、いろんな関係者の方と知り合いになれたことの結集として登録有形文化財というお墨付きをもらえたのだと思います。これからも、できるだけ家に手を掛けながら、大切に、丁寧に暮らしていけたらと思います。

Katsuji

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