story28.冬の寒さが身に染みる我が家の暖の取り方

ここ最近、建築や設計関係の方が家に来られ、中を案内するケースが多くなっていますが、ほとんどの方が「初めて見た」と驚かれるスポットは配電盤がある電気室です。母屋を立てた祖父は、当時、水力発電用ダムの設計技師として電力会社に勤めていたそうで、その影響もあってか、配電盤設備の重厚さはなかなかのものに見えます。今でいうブレイカーの役割を果たす機器ですが、竣工当時の約100年前にそれほどの電力を使う用途があったのかはよく分かりません。もしかしたら、当時、聴竹居にあるような大量の電力を使う冷蔵庫やストーブがあったのかもしれませんが、私が生まれた50年前頃については、電気の使い道と言えば、主に照明で、あとはテレビや洗濯機、冷蔵庫など限られた家電製品程度だったように思います。冷暖房機器については今のようにエアコンはなく、夏の冷房は専ら扇風機、冬の暖房は石油ストーブやこたつなどが主だったように記憶しています。

我が家は当時新しい考え方だった環境共生住宅であったと聞いておりますが、主に夏の暑さをどう凌ぐかということに配慮された設計思想が多いです。逆に冬の寒さ対策はあまり施されておらず、特に当時応接室だった部屋は、暖房が効きにくい高い天井に、底冷えのする板間の部屋、さらに、格子のガラス窓からすきま風が入り、網代の天井から冷たい風が抜けるといった、家の中でも家の外にいるような冬の寒さが身に染みる造りの家になっていると思います。特別に暖房機器が整っていたという訳ではなく、子供の頃は、比較的気密性の高い奥の畳間に、石油ストーブとこたつをベースに家族みんなで過ごす時間を長くすることで、冬の寒さを凌いでいました。結婚し、子供ができ、二世帯住宅として再びこの家で過ごすようになった際、応接室をリビングルームとして使っていましたが、我が家でも最も寒い網代天井の板間の部屋であり、本当に毎年寒い冬を過ごしていました。エアコンはあまり効かず、薪ストーブなどを導入するには煙突など改築コストがかかるなど、なかなか有効な暖房手段が見つかりませんでした。最近、奥の気密性の高い部屋に生活スペースを移すようになってからは、エアコンの暖房で比較的快適に過ごせるようになりましたが、以前のリビングルームは、現在、教室やイベントスペースに利用し始めているので、冬の暖の取り方については、今後もう少し知恵をしぼらないといけません。

我々家族として、寒い家で過ごしてきた良い面と言えば、冬に風邪をひくことがほとんどない強い体になったことでしょうか。

Katsuji

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